金時湯の簡単な歴史など

下駄の鼻緒屋から

■金時湯の名前の由来

誠実本位は今でも同じ  創業当時の看板です。
 写りが悪くて見づらいですが、右端に「創業明治29年」。「金時好本舗 誠實本位 横山合名会社」と書かれています。
金時好本舗は「きんときごのみほんぽ」と読みます。  この看板は家の奥に大切に保管しています。
 金時好本舗は、下駄の鼻緒を売る会社でした。名称の由来は、金時さん(金太郎さん)のように強い鼻緒という意味合いでした。 創業者は、若いころに野菜の引き売りをしました。毎日、余らさず全部売るので商才があると評判でした。才覚を生かして鼻緒を売る事業を始め、それに加え隣家に風呂屋をつくることにしたのです。
 
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戦争で一時中断

■鼻緒屋では続かない

 風呂屋のスタートは昭和3年でした。商売は2代目が引継ぎましたが、戦争の時代に入ると2代目も徴兵され、風呂屋の事業は中断することになりました。 復員してみると、家は残っていましたが鼻緒は時代遅れになっていました。
 

■金時湯の再開

今の金時湯の金看板  昭和25年に金時湯を再スタート。以来、変わらず営業を続けています。今は3代目になっています。
 創業から数えれば114年、風呂屋の再開から60年余りがたちました。地域の皆様に支えていただいたお陰です。
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【こぼれ話】変わる下町の姿

■川のほとりにあった銭湯

古川が流れていた路地 へぇーびっくり  金時湯の裏に、来客用の駐車スペース(2台分)あります。その脇の路地は、駅西銀座通りの一本南の道。古来、「古川」という名前の小川でした。
 川は東(名古屋駅方面)にまっすぐ流れ、市内を流れる江川と合流していました。江川は「江川線」という道路名に残っています。
 古川は現在、暗渠(あんきょ)になっていますが、むかしむかしは秀吉が泳いだ川、、、かもしれません。
 古川の川筋は、生活や染色屋が染物をさらしたりする仕事の場でもありました。水質がもともと良いところだったのでしょう。川が名古屋駅にごく近くなるあたりには、東京オリンピック(昭和39年)ごろまで牧場があり、多くの牛が飼われていました。
 今では想像もできないくらいの変わりようです。
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名古屋市登録地域建造物資産に

■「歴史的建造物」に

 名古屋市は平成23年6月の都市景観条例の改正により、身近な歴史ある建造物を地域の資産として「登録」または「認定」する制度を進めています。

  「地域に残る歴史的建造物を多くの人に知ってもらい、それらを大切にしていく気運の醸成につなげ、歴史的建造物の保存・活用」を図るものとしています。 登録は築50年以上で活用・修復が可能なもので、所有者に存続の意思があるものが対象です。

 金時湯はその90カ所目の建造物として登録されました。銭湯では3番目です。
 ご参照:登録地域建造物資産に関する名古屋市のホームページ

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